親友へ... (japanese)




直にあなたと話し合った方がいいと思うのですが、連絡を取り合い私達の友情を失わないように、事情で、やむなく他の方法をとらなければなりません。あなたが行ってしまってから、まだ数週間しかたっていないのに、私には、もう1世紀もたってしまったように思われます。あなたのこの新しい人生の時に、あなたが、どんなに多くの困難に直面しているかを知るのは、私には難しくなってきているということを打ち明けなければなりません。だから私は、悲しみと恐れを引き起こしているあらゆるものをあなたが、切り抜ける手助けをし、あなたが一人ではないということを知ってもらうことを願って、あなたに、手紙を書こうと思いました。あなたはこの前の話し合いの中で、人々に囲まれているのに、人は、どうしてそれほど孤独を感じるのかと質問しました。そしてあなたはたくさんの興味深い人々に出会ったが、何らかの理由でうまく付き合うことが出来ないと言いました。
私は、こうしたことを、たくさん見てきました。そして私自身も経験してきました。感情的な孤独は、必ずしも、社会的な孤独には、結びつかない。私達は、あまり親密にならないようにして、他人と触れ合い続けているのかもしれません。そしてそのことが、私達に
孤立した感情をもたらすのです。今の時代に、つまり技術も進歩しソーシャルネットワークなど簡単にコミュニケーションできる時代にあっても、私達は他人に拒絶されているように感じ、ますます離れていくように思えるのは、変だし非常に悲しいことだと思いますよね。本当は、誰もが、私達を支えてくれる人が、少なくとも1人、私達を愛し本当に私達のことを心配してくれていると私達が思える人を必要としています。私達はそういう人がいない、あるいはそういう人がいないと思ったり感じたりした時に苦しみや孤独を感じる。あなたは、今は、苦しいかもしれませんが、しかしそれはあなたが新しい人生をスタートしたばかりなので感じるうわべだけの感情にすぎないと思います。あるいは、もっと深刻なのかもしれませんが。だから2,3の質問をさせてください。何か体に変化をきたしていませんか?食欲がないとか、眠れないとか、行動や反応が変だとか、内気になったり、だまってしまったり、孤独になったりしていませんか?落ち込んでいたり、寝てばかりしていませんか?私はこうすることによってあなたの状況がどれほど深刻であるかとういことがわかります。そうすれば、あなたの解決に向けて一緒に解決の道を探ることができるのでこういった質問をしているのです。私は、あなたに気をつけてもらいたいのです。わかりますか、もしあなたが気をつけないと、そういう感情から逃れようとして、あなたを少しでも受け入れ、友達になってくれそうな人、そして、あなたの人生の中心になるであろう人を愛することで、感情的に深く依存してしまうでしょう。私は、苦しみも傷も負うこともなく、そういった感情からうまく逃れることは誰もできないということをあなたに判ってもらいたいのです。たとえばもしあなたが、お酒を飲んだり、タバコをを吸ったり、誰とでもつきあったりしようと思うと結局はさらに、初めより悪い結果を招くことになるでしょう。だからあなたはどうしたらいいのかと自問自答しているのでしょう。私はそれについてすぐにあなたに手紙を書くつもりです。今はただ、私が書いたことだけを考えてください。
頑張って!
私はここにいます。気をつけて。世界のこちら側の友。
ディアナ


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あなたの手紙を読みました

お元気ですか?あなたの手紙を読みました、そしてあなたが私のアドバイスを実施して、それがうまくいっていることにとても喜んでいます。
あなたに感情的依存について話すという約束を思い出しました。ごめんなさい、ちょっと手間取っちゃって。私の書いていることが遠くにいるあなたの助けになることを望んでいます。
あなたはみんなが誰か自分たちに愛や興味を示してくれる人たちを必要としている事実について私に賛同してくれていると思います。
愛されるということは人生で一番素晴らしい経験のうちの一つです。これは自分を特別で価値あるものと感じさせてくれます。不幸にも、時々私達は誰も自分を愛そうとしてくれないと感じます、少なくとも家族内の外側の誰も。自分には親友、それに近い者もないと思いこみ、あなたが新しい国にいる時や結婚したての時や、時間が過ぎる時や、あなたのすべての時間を吸収してしまう家族がいる時でさえもこのことは本当に感じられます。あなたを愛してくれる人たちがいないという感情は自分を本当に悲しく、自分自身を悪く思わせてしまいます。
こういうことです。誰かが現れ、その人がまさに自分が望んでいたものを与えてくれると、私達はためらわずにその人を受け入れるでしょう。その人が誰なのか、そしてその人が与える愛の質も気にならないでしょう。私達はまるで砂漠で喉が乾いたようなものです。そしてその友人によって感情的依存が始まるのです。
始まりの時には関係がどんなにすばらしいものかは大したことではありません。私達はそれを丁寧に扱わないと、自分たち自身にとってそれが破滅的なものに変わるかもしれません。
私達が感情的依存にいつ会うかをどうやって知るかあなたは疑問に思うかもしれません。では、それをはっきり示しましょう。感情的依存は誰かの存在が私達を満たし、確実なものに感じさせなければいけないと私達が信じる時に現れます。
それでは、少し進んでこの感情を起こさせる人々について考えてみましょう。そして私は自分達の両親をはずしてもよいと考えます。なぜなら私達の人生で彼らを必要とすることは自然なことだからです。そして彼らに対する異常な依存を発展させるかもしれないとしても私はこれは事例ではないと考えます。

それでは、あなたの周りにいる人について考え、彼らとの関係が次の説明に合うかどうか見てみましょう。
・嫉妬、その人が自分だけのためにいてほしいという感情、とてつもなく、その人の興味が他の人に行ったとき本当に悪くなる感情
・その人とだけ膨大な時間を費やしたい、自分の感情を悪くさせない時にという愛情
・その人が私達から遠ざかろうとするとき、私達はおかしくなったり沈んだりします。彼らが忙しくて私達が願うよりも私達と一緒にいれないような時に。
・私達がもう友人はいらないと思い、友人を得ようともしない時
・その人にファンタジーに導いてくれるようなロマンチックまたは性的な感情を経験する時
・その人の外見、振舞い、興味などに注意が向いてしまう
・受け入れられる基準を越えて愛の身体表現をしてしまう
・その人達の間違いを見つけることができない。他の人ができているのにも関わらず。
もし私の友人であるあなたが誰かこのような特徴を持った人と関係を持つことは、あなたが感情的依存を発展させてきているか、
もしくはその途上にいるという意味なのです。
誰かを深く誠に愛していないこと、しかしむしろその人なしで暮らすことをただ恐れているということを受け入れることは困難です。
私達はその人が自分にとっての全世界で、もし私達がその人を見ることをやめると空っぽになってしまうという可能性を受け入れることを恐れています。
ああ、長い手紙になってしまいました。でも私達は次回このことについて議論できると考えいています。お話ができてうれしいです。
私達の関係が強く誠実であることがわかってうれしいです。

お体をお大事に。

ディアナ
 

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